バレーボール日本代表・西田有志(にしだ・ゆうじ)選手の家族や出身学校、バレーボールキャリアを紹介します。
元バスケットボール選手の両親とバレーボール経験者の姉、兄を持つ西田有志 選手。
両親と同じバスケットボールではなく、バレーボールの道に進んだ理由や、今までの出身小、中、高校での成績や、
面白エピソードを調査していきます!
✔ 西田有志のプロフィールまとめ
✔ 両親は元バスケットボール選手で今の職業は?
✔ 兄弟の年齢や職業
✔ 過去のバレーボール歴や今後について
もくじ
西田有志(身長・移籍歴)プロフィール
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名前 | 西田 有志 (にしだ・ゆうじ) |
生年月日 | 2000年1月30日 |
年齢 | 24 歳(2024年8月現在) |
身長 | 186 cm |
体重 | 89 kg |
出身地 | 三重県いなべ市 |
血液型 | O型 |
ポジション | OP |
所属チーム | パナソニックパンサーズ |
経歴 | ヴィアンテ三重U-19 ⇒ジェイテクトSTINGS ⇒ヴィボ・ヴァレンツィア ⇒ジェイテクトSTINGS ⇒パナソニックパンサーズ |
西田有志 選手は、三重県いなべ市大安町石榑東の出身です。
先にバレーボールを始めていた姉、兄の影響で、5歳のときにバレーボールチームに入団。
西田有志 選手の知名度がグンっと高くなったのは、高校生のときです。
高校を卒業する前にジェイテクトSTINGSに内定が決まり、試合に出場したところ、
なんと、初めてのVリーグ戦で、チーム最多の得点を上げました。
私生活では、2022年年末に同じバレーボール選手・古賀紗理那さんと結婚。
2023-24シーズンは、パナソニックパンサーズ
に移籍し、MVPやリーグ優勝に貢献しました。
2024-25シーズンも引き続きパナソニックパンサーズで選手登録されています。
次シーズンでの活躍にも、注目してたいですね!
西田有志の家族構成!
他局ですが、、、今日から #ワールドカップバレー 男子開幕🏐 #アス友 さんの #西田有志 選手が躍動し、リオ五輪銀メダル🥈イタリアからストレート勝ち👊
写真の頃から約1年、逞しくなったなあ‼️ pic.twitter.com/7iAzhAroB3— 中京テレビ「アス友」 (@ctv_asutomo) October 1, 2019
西田有志 選手の実家のご家族は、両親と兄、姉がいます。
上記Xの写真では、みやぞんの隣が父親、父親と西田有志 選手の間にいるのが母親です。
父:徳美さん
母:美保さん
長女:早希さん(8つ年上)
長男:圭吾さん(6つ年上)
次男:西田有志 選手
2022年に古賀紗理那さんと結婚しましたが、子どもはまだいないようです。
奥さん・古賀さんはパリオリンピックを機に現役引退を発表していますので、
今後、また家族が増えるかもしれませんね。
西田有志の父・母は元バスケ選手(東芝)
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西田有志 選手の父親・徳美さんと母親・美保さんは「東芝名古屋」に所属していた元バスケットボール選手です。
ご両親2人とも、実業団に入るほどの実力者。
バスケットボール選手としての活躍があったからこそ、息子には厳しく指導していたそうです。
父親:西田徳美さん
父親・徳美さんは、岐阜県生まれです。
バスケットボール選手として活躍したのがいつだったのかは不明でした。
実業団ということもあり、引退後は東芝名古屋の社員として働いていたと思われます。
西田有志 選手が出た試合での成績をすべてメモしているほど、マメで分析能力も高い父親です。
チームプレーの厳しさやバランスも分かっているだけあって、チームの監督にも以下のようなアドバイスをしていたそうです。
遠慮なく、いつでも有志を外してもらっていいですから
引用:numberWeb
ジェイテクトで西田有志 選手だけが得点を獲っていたことで、チーム全体のバランスが悪くなると考えていたそうです。
また、試合でミスをしたときなどは『下手くそ!引っ込め!』などと厳しいげきが飛んでいたそうです。
精神面も鍛えられそうな、アドバイスですね。
母親:西田美保さん
母親・美保さんは、福岡県北九州生まれです。
徳美さんとともに東芝名古屋のバスケットボールチームに所属していました。
引退後に同じ社員同士で、結婚したのかもしれませんね。
母親・美保さんは、8つ年上の姉や6つ年上の兄には、ビシビシやるくらい、かなり厳しく育てたそうです。
しかし、西田有志 選手には厳しくはなかったそうです。
親が厳しく怒っても、西田有志 選手は自分のやりたいことに一生懸命。
叱るよりも、自分で道を踏み外したときは、気づかせてあげるような声掛けをしていたのでしょう。
母親・美保さんは子ども3人、バスケットボールの道に進まなかった理由を、以下のように語っています。
- 大安バレーボールスポーツ少年団女子チーム「大安ジュニア」に姉が入部
- バスケをすればあれこれ言われるのがわかっているから(子どもも)避けたはず
- バスケになると父母が監督に口を出してしまいそう
- ミニバスチームが当時は少なかった
「大安ジュニア」は、礼儀や生活態度までしっかり指導する指導方針。
両親にとっては、スポーツの指導方法も習い事を選ぶポイントになったそうです。
西田有志 選手は、両親からの厳しいアドバイスを素直に受け入れ、さらに成長していきます。
西田有志の姉兄はバレーボール経験者
三兄弟さすがや!
おもろすぎる笑笑 pic.twitter.com/sUZTZzPpSh— 西田 有志 (@volleyball1301) December 25, 2016
西田有志 選手は3人兄弟の末っ子です。
姉と兄も幼少期からバレーボールをしていました。
姉:西田早希さん
姉が「大安ビートル」に入部したことがきっかけで、バレーボールの道に進んだ西田有志 選手。
姉は、1991年生まれで8つ離れているので、33歳ですね。
幼少時代は、末っ子をよく可愛がって、お母さん代わりにもなっていたかもしれませんね。
ちなみに、バレーボール選手ではなく、一般人のため、現在の職業や経歴は見当たりませんでした。
兄:西田圭吾さん
6つ年上の兄も「大安ビートル」に入部しバレーボールを習っていました。
兄は、中学ではバスケットボール部に所属。
元選手の両親のアドバイスもわりと厳しかったようで、それを見ていた西田有志 選手はバスケットボールは「やりたくない」と思ったそうです。
その後、兄は、西田有志 選手が史上最年少で加入したジェイテクトに勤務。
西田有志 選手が加入時には、兄はバレーボール部があることを知らなかったそうです。
西田有志の出身学校(小・中・高校)とエピソード
小学校:石榑(いしぐれ)小学校
西田有志 選手の出身小学校は、三重県にある石榑(いしぐれ)小学校です。
5歳からバレーボールを始め、小学生時代も「大安ビートル」で週に3回ほど練習に通っていました。
小学生時代には、北京オリンピックを視聴して、
「僕もバレーボールでオリンピックに出る」
と宣言していたそうです。
身長がまだ、あまり高くなかったこともあり、ジャンプ力を高める練習に励んでいました。
中学校:いなべ市立大安中学校
西田有志 選手の出身中学校は、三重県の地元にあるいなべ市立大安中学校です。
中学時代は、顧問の先生が音楽の先生で、部員が初心者だらけ。
そのため、西田有志 選手自身が指導にあたったそうです。
指導方法は同時に通っていた「NFO オーシャンスター」で見たことを、見よう見まね。
そのときに、仲間同士で考え言語化し、伝えることでとても成長した、と語っています。
バスケットボールの河村勇輝選手選手と中学での境遇が似ていますね。
その努力の甲斐もあって、中学2年生で県大会に出場。
3年生の時には県で3位になり、東海大会でベスト8に入るほどに成長しました。
高校:海星高等学校
西田有志 選手の出身高校は、三重県にある海星高等学校です。
バレーボール強豪高校からも声が掛かっていたそうですが、
中学時代に選抜チームでプレーした時の監督がいた高校へ進学。
地元で強くなりたい!という想いが強く、実家の近くの山で大幹トレーニングもしていたそうです。
全国大会とは無縁で、インターハイは、高校3年生で1度きり。
三重県予選の決勝で敗退し、2年連続春高バレーへの出場はできませんでした。
当時の心境は、
やっぱりダメか、くらいでした。長い人生においての、たったの3年間ですから。
当時はVリーグでやりたいという考えもまったくなかったんです。
卒業したら普通に仕事をして、お給料をもらって、空いている時間にバレーボールができればいいと思っていたんです。
だからショックはあまりなかった。
引用:https://www.toto-growing.com/16pt/interview149
しかし、18歳でU19日本代表に初めて選ばれた時にバレーボールへの気持ちが変化します。
西田有志はジェイテクトでプロ選手へ
高校卒業前に、ジェイテクト STINGSに加入した西田有志 選手。
初舞台で20点以上の得点をあげ、チームの勝利に貢献しました。
入団当初は正社員扱いでしたが、約半年でプロ選手へ切り替えます。
活躍はジェイテクトだけにとどまらず、
2019年のW杯では4位に貢献して、ベストサーバー、ベストオポジットに選ばれます。
10月に行われたバレーワールドカップでは、ベストサーバー賞を受賞。
2020年2月にはジェイテクトの初優勝に貢献しました。
数々の受賞を総なめにし、2021年夢の東京オリンピックに出場。
結果は、ベスト8でしたが、さらにバレーボールの高みを目指すため、8月にイタリア・ヴィホ・ヴァレンチアへ移籍しました。
帰国後、2022年6月ジェイテクトに復帰しましたが、突如、原因不明の熱で欠場するようになりました。
その頃、精神的に支えていたのが古賀紗理那さん。
お互いバレーボール選手だからこそ、いろんな想いを共有でき吐き出し、回復できたのでしょうね。