バスケットボール日本代表の河村勇輝 選手は、コートに入るときに深々、一礼をします。
とても礼儀正しく、真面目な印象ですよね。
その姿は、プレーだけでなく、育った環境やミニバス時代の家庭環境について多くのファンから注目されています。
河村勇輝選手のご両親(父・母)は教員をされており、父親・吉一さんはバスケットボールの顧問も経験しています。
今回は、河村勇輝選手がプロ選手として成功するまでに父親から受けた教育方針や、
家庭でのサポート、母親や姉についての情報や顔写真を調査していきます!
✓ 父・母の職業は?どんな人?
✓ 姉はどんな人?画像はある?
✓ 幼少期の家族とのエピソード
もくじ
河村勇輝の実家は山口県柳井市
河村勇輝選手のご実家は、山口県柳井市。
山口県柳井市といえば、瀬戸内海が近く、海水浴場も点在しており、自然が豊かな地域です。
瀬戸内海に浮かぶ島、周防大島町も近く、橋を渡ったらすぐ。
海・山に囲まれた自然豊かな地域でのびのびと過ごしてきた環境が、今の河村勇輝選手の原点なんですね!
▼河村勇輝選手の母校・新庄小学校
河村勇輝の家族構成
河村勇輝 選手の家族は、父、母、姉2人の5人家族です。
父:河村吉一さん(かわむら よしかず)
母:非公開(教師)
姉:非公開
姉:非公開
本人:河村勇輝選手
河村勇輝選手の父親は柳井中学校の英語教師で、バスケットボール部の顧問も務めていました。
一方で母親も教師という教育者一家。
元スポーツ選手ではない家庭環境で育ちました。
兄弟構成は、姉が2人いる末っ子。
また、実家から歩いて2分の距離に、祖母も住んでいました。
祖母の家で過ごす時間が長かった河村勇輝選手にとっては、祖母の存在が大きいようです。
河村勇輝の父・吉一さんは英語教師でバスケ部顧問!画像は?
河村勇輝選手がどのように育てられたのか、父や母、姉のがどんな方だったのか気になりますよね。
残念ながら、顔画像や写真は一般人のため、公表していませんでした。
インタビューでは主に中学教師をしていた父親・河村吉一さんが過去の教育方針を語っています。
名前:河村吉一
職業:元中学校教員
専門:英語
部活:バスケットボール部
(河村選手が中学生の頃)
父・吉一さんは、河村勇輝選手が柳井中学校時代には、バスケットボール部の顧問をしていました。
2016年に行われた全中バスケットボール大会では、コーチを務め、ベスト16という成績を残しています。
しかし、父が同じ中学の先生であることは、周囲には明らかにしておらず、
他の生徒と同じように、息子にも指導していたそうです。
河村勇輝選手は、父親と朝練・中学校・部活でも会う環境に身を置いており、
学校生活も部活も気が抜けない環境
参照:https://www.asics.com/jp/ja-jp/blog/article/hardcorebasketball-kawamura
だったと、語っています。
河村勇輝と父・吉一さんのバスケット指導
ここからは、幼少期の生活や影響を受けた河村勇輝選手のルーツを、探っていきたいと思います!
父・吉一さんは「強制しない教育方針」を貫き、息子の自主性を重んじていました。
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幼少期はスポーツ体験を重視
河村勇輝選手は父親の仕事の都合で、3歳までドイツ・ベルリンで生活をしていました。
父親も河村勇輝選手が小さいうちは、多くのスポーツを体験させたいと思い、やりたいことをやらせる教育方針だったそうです。
幼少期に経験したスポーツは、
- 野球
- 水泳(5年間)
- 柔道
- 相撲
など、父親が柔道部の顧問をしていた時期は、練習に参加したことがあったそうです。
幼少期は野球に熱中
河村勇輝選手は小学2年生頃までバスケットボールではなく、野球に熱中する少年でした。
父・吉一さんは、強要せず野球が好きになるような仕掛けを生活に取り入れていました。
毎日キャッチボールをしたり、お風呂では水中で手首を50回スナップするゲームをしたり、
親子で楽しんでいたそうです。
ミニバスを始めたきっかけはユニフォーム
その後、本格的に野球をはじめようとした河村勇輝選手。
スポーツ用品店でバスケットボールユニフォームを見て、「バスケやりたい」と言ったそうです。
意外なきっかけに、父・吉一さんもビックリ。
野球ではなく地元のミニバスチーム(柳井スポーツ少年団)に入部することを決意しました。
ミニバス時代のサポート
ミニバス時代も山口県内では、「上手い!」と一目置かれて目立っていた河村勇輝選手。
クラブだけでなく空いた時間も、思う存分練習ができるよう、父・吉一さんが環境を整えてくれました。
山口県柳井市にある実家は、広大な敷地。
河村勇輝選手が幼稚園のときから庭にはバスケットボールのゴールが設置されていました。
父・吉一さんも息子が始めたバスケットボールを好きになり、楽しんでいたそうです。
また、マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズ)が好きだった父親の影響で、
バスケットボール関連の書籍やビデオ・サインも自宅に多くありました。
小学2年生から6年生になるまで、そのNBA選手のバスケの映像を見ながら眠りにつくのが、日課になったそうです。
他にも、父・吉一さんがやってきたサポートは、
- 自宅の庭にバスケットリングを設置
- 雨の日にはリング周りをブルーシートで保護
- 父親と1対1の練習
- 家庭用ナイター設備を作る
口うるさく言われたことは全然なくて、僕の自主性を本当に尊重してくれた。
バスケットが嫌いにならないように、環境だけを整えてあげようと考える父だったので。
その環境のおかげで、自発的に「やりたい!」「もっと練習したい!」と思えるようになったそうです。
ミニバス時代の試合映像
▼小学校時代の試合動画
両親の影響が大きいミニバス時代には、すでに小学生離れしたディフェンスやシューティング姿を披露しています。
河村勇輝の母は元教師!
母も教員で、忙しい毎日だったそうです。
朝も早く、夜も遅いため、河村勇輝選手は、祖母の家から学校に行き、
ミニバスの練習や学習塾にも祖母の家から通っていました。
河村家の方針は、「勉強第一」だったそうで、スポーツや部活はあくまで勉強の「付属」でした。
母の教育方針も口出しはせず、息子を信じて見守ることに徹していたのでしょう。
河村勇輝の兄弟は姉2人
河村勇輝選手には、姉が2人おられます。
とても優秀な姉だったそうで、河村勇輝選手が中学時代には、地元の進学校に通っていました。
高校生の頃に、姉は早稲田大学を卒業しているそうで、家族全体、教育水準が高いですね。
年齢差は、4つ以上だと思われます。
河村勇輝の祖母との幼少期エピソード
『両親が教師で忙しく、小さい頃から、朝晩はいつも私の家で過ごしていましたね。』
幼い頃から見守り続けてくれた祖母からの手紙に、涙が溢れる河村勇輝。@KawamuraYuki @b_corsairs #Bリーグアワード #Bリーグ pic.twitter.com/VMuV0pMoLR
— B.LEAGUE(Bリーグ) (@B_LEAGUE) June 2, 2023
河村勇輝選手の祖母は高齢で、横浜まで試合を見に行くことは難しいようです。
しかし、MVPを獲得したときには祖母から手紙が届きました。
祖母は、両親と一緒に過ごせないことをとても心配していたそうです。
送迎も祖母が行ったり、朝食も祖母の家で食べてから学校に行ったり、
祖母からも大きな愛情を受けて大切に育てられました。
祖母からの手紙の内容です▼
げんきですか?
おばあちゃんです。
バスケットで素晴らしい賞を頂いたことをお父さんから聞きました。
本当におめでとう。よく頑張りましたね。
両親が教師で忙しく小さい頃から朝晩はいつも私の家で過ごしていましたね。
バスケットが大好きで、毎日家の庭でバスケットに励んでいた姿が思い起こされました。
中学のときは、練習や試合で帰りが遅くなったときに、車で迎えに行ったことも懐かしいです。
あの頃の努力が今花開いたんですね。本当によかったね。
これからもゆうちゃんの健康と活躍を毎日祈っていますよ。頑張ってね。
おばあちゃんより
参照:X
祖母からの手紙に対して、SNSでは、
「胸が熱くなりました」
「もう!!どんだけ泣かせれば気が済むの!」
とファンからは多くの反響がありました。
バスケットが不自由なくできたのも祖母がいたからなので、そして今も病気だったり、年齢もすごくいってて毎日必死に生きている姿を見て、自分はどんな辛いことがあっても祖母の姿を見ているとやっていけるっていう気持ちに毎日なっているので、本当に祖母には感謝したいです
と受賞コメントを発表しています。
祖母と過ごした幼少期が、今のモチベーションに繋がっています。
まとめ:河村勇輝選手の父親や家族について
✓ 父親・吉一さんとは中学時代で教師・部活の顧問・生徒の関係
✓ 父親の教育方針は、「強要しない」「自主性を重んじる」「好きにさせてあげる」「言葉にするのは褒めるとき」
✓ 父親が持っていた、NBA選手の試合動画もバスケットボールに打ち込むきっかけになった
✓ 母親も元教師で、忙しい両親に代わって祖母が朝ごはんのサポートなどをしていた
✓ 姉は早稲田大学卒で優秀、4つ以上、年上
今の河村勇輝選手の活躍の裏には、両親の教育方針や父・吉一さんの影響がとても大きいことが分かりました。
家族や多くの人に支えられて、これからも成長していく姿が楽しみですね。
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。