真田卓(さなだ たかし)選手は、車いすテニスの国内外で活躍しているベテラン選手。
事故による足の切断という困難を乗り越え、2011年から競技人生をスタートしました。
世界ランキングも10年以上、10位以内を維持しています。
この記事では、真田卓 選手の出身学校や大学、事故での足切断の経緯、そしてこれまでの経歴について詳しくご紹介します。
✔ 事故で足を切断した理由
✔ 出身学校や出身地
✔ 車いすテニスの今までの実績
真田 卓(車いすテニス)プロフィール
この投稿をInstagramで見る
名前 | 眞田 卓 (さなだ・たかし) |
生年月日 | 1985年6月8日 |
年齢 | 39 歳(2024年9月時点) |
身長 | 167 cm |
体重 | 60 kg |
出身地 | 栃木県 那須塩原市 |
所属 | TOPPAN |
経歴 | 那須塩原市立南小学校 ⇒西那須野中学校 凸版印刷株式会社 |
真田 卓は交通事故で足切断!
この投稿をInstagramで見る
真田卓 選手が車いすテニスを始めた背景には、19歳で起きたバイクでの交通事故による足の切断という大きな決断があります。
厳しい選択を迫られましたが、右ひざから下を切断しました。
太ももには筋力が残っていたそうですが、義足に慣れるまでのリハビリ生活はとても苦労したそうです。
切断したての時って義足を履くだけで痛いんです。歩くなんてその倍も痛いし、圧迫感があって、とてもスタスタ歩けるもんじゃありません。
引用:https://paraspoplus.com/sports/14925/
家族や友人の支えを受けながら、痛みに耐え頑張ってきたリハビリ生活。
ただ、障がい者になって、就職や仕事など将来の不安も大きかったと、当時を振り返っています。
見学した車いすバスケットボールを見たときは、「すごい!」と感動しましたが、自分が競技者になるとは思っていなかったそうです。
…とはいえ、障がい者スポーツコミュニティーがとても楽しかったため、
経験があったテニスで再びスポーツに挑戦しようと決意しました。
リハビリで耐えた強い精神力や忍耐力が今の車いすテニスのパフォーマンスに繋がっているのでしょう。
次に、テニス経験があった真田卓 選手の出身学校を見ていきましょう!
真田卓の出身学校
真田卓 選手の出身地は、栃木県那須塩原市です。
学生時代は、地元で過ごしてきました。
出身小学校は、那須塩原市立南小学校。
卒業後は、西那須野中学校に進学し、ソフトテニス部に所属しました。
県大会では、最高ベスト4の実績。
足を切断する事故以前にもスポーツに親しんできたことが分かりますね。
過去のソフトテニスでの経験が今の車いすテニスの基盤になっています。
真田卓の車いすテニス実績や世界ランキング
真田卓 選手は車いすテニスを19歳頃に始めましたが、
23歳頃までは趣味の範囲内で楽しんでいたそうです。
車いすテニスのレジェンド国枝選手に、パラリンピックへ誘われたことがきっかけで、
本格的に国際大会へ出場するようになりました。
世界ランキングは、2024年9月時点では12位。
最高は7位で、25歳頃から10年以上10位前後をキープしています。
ちなみに、日本人の車いすテニス世界ランキングは、以下の通り。
国際大会では、国枝選手から練習方法や食事、アスリートの過ごし方などを学びました。
小田凱人選手が16歳でグランドスラム史上最年少出場を達成した際には、
真田卓 選手が国枝選手と同じように後輩を支えてきました。
小田凱人選手も、真田卓 選手との対戦で、技を直接学んできたそうです。
車いすテニスは、若手選手がどんどん活躍できるような環境をベテラン選手が作っているのですね。
今までの主な戦歴は以下の通り。
●2021年
東京パラリンピック
男子シングルス 9位
男子ダブルス(国枝/眞田) 4位
●2022年
全日本マスターズ
シングルス 準優勝
ダブルス 優勝
●2023年
グランドスラム 全豪オープン
ダブルス ベスト4
グランドスラム 全仏オープン
ダブルス ベスト4
まとめ:真田卓 選手について
✔ バイクの交通事故で右足ひざ下を切断
✔ 出身学校は、西那須野中学校でソフトテニス県大会4位だった
✔ 競技歴は15年以上
✔ 過去に国枝選手やウデ選手とダブルスを組み、上位入賞を果たしている
✔ 男子シングルスでは、世界ランキング7位が最高
日本の車いすテニスのレベルの底上げに貢献している真田卓 選手。
車いすテニスファンにも、大きな感動を長く与え続けている選手です。
今後の活躍にも注目していきましょう!
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました!