ユース時代から日本代表として活躍しているバレーボール女子日本代表・宮部藍梨(みやべ・あいり)選手。
宮部藍梨 選手は手足も長く、外国人のような容姿なので、ハーフであることはご存知かと思います。
ご家族は、ナイジェリア出身の父親、日本人の母親、そしてバレーボール選手として活躍する妹・宮部愛芽世選手。
今回は、宮部藍梨 選手の今までの経歴や生い立ちエピソード、両親の仕事などを調査していきます!
✔ 宮部藍梨 選手の両親はどんな人?
✔ 妹・宮部愛芽世(あめぜ)選手との仲は?
✔ 今までの生い立ちと出身学校
もくじ
宮部藍梨 (身長・最高到達点)プロフィール
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名前 | 宮部 藍梨 (みやべ・あいり) |
生年月日 | 1998年7月29日 |
年齢 | 25歳(2024年7月現在) |
身長 | 181 cm |
体重 | 66 kg |
最高到達点 | 313 cm |
出身地 | 兵庫県 尼崎市 |
血液型 | O型 |
ポジション | OH |
所属チーム | ヴィクトリーナ姫路 |
経歴 | 尼崎市立金楽寺小学校 ⇒金蘭会中学校 ⇒金蘭会高等学校 ⇒神戸親和女子大学 ⇒サウスアイダホ大学(留学) ⇒ミネソタ大学(編入) ⇒ヴィクトリーナ姫路 |
宮部藍梨 選手の身長は181cm。
日本代表選手の中で一番身長が高いのが、2024年時点では荒木 彩花選手の184cmです。
アタッカーとしては身長はあった方が有利ですよね。
宮部藍梨 選手は跳躍力も高く、最高到達点は、313cmと驚異のジャンプ力も備わっています。
バレーボールの素質も元々ありながらも、努力で実力を磨いてきた宮部藍梨 選手。
高校卒業後は、競技人生だけでなく、引退後の人生も考え大学に進学しました。
進学後は、アメリカ留学を経てミネソタ大学を卒業。
2022年ヴィクトリーナ姫路に入団し、日本代表にも復帰しました。
宮部藍梨の父はナイジェリア人で母は日本人
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父親の職業は?
宮部藍梨 選手のナイジェリア人の父親について、職業や今までの経歴を探しましたが、公表しておらず、
インタビュー等でも答えていませんでした。
宮部藍梨 選手がアメリカ留学する頃
「企業に入る選択もあったけれど、将来は海外でバレーをしたいので実践的に使える英語を身につけたい。
やるからには上を目指している」
と語っていましたので、幼少期は日本語の会話が多かったと思われます。
そのため、父親も日本語が堪能だったのでしょう。
ナイジェリアからいつ来日したのかも不明でしたが、長く日本に在中していた人なのかもしれません。
母親はどんな人?
中学時代から、全国で活躍している宮部藍梨 選手なので、母親について語っているメディアが1つくらいはあるかと思ったのですが、
母親についても詳しい情報は挙がっていませんでした。
パリコレ有名モデルのように顔も小さい宮部藍梨 選手。
身長は182cmで股下はなんと106cmもあるそうです。
完璧なスタイルは父、母譲りかと思いますので、
ご両親もスタイルが良い、高身長な人だと予想できます。
また、宮部藍梨 選手は話し方が関西弁。
これも、母親譲りなのかと思われます。
母親や父親の献身的なフォローやサポートがあったからこそ、
宮部藍梨選手は強豪校でさらに実力を磨くことができたのでしょう。
宮部藍梨の妹はバレーボールの愛芽世(あめぜ)選手
引用:TBSニュース
宮部藍梨 選手の妹はJTマーヴェラスに所属している愛芽世(あめぜ)選手です。
年の差は、3つ違い。
名前:宮部 愛芽世(みやべ・あめぜ)
生年月日:2001年10月12日
出身地:兵庫県尼崎市
身長:173cm
出身校:金蘭会中学校⇒金蘭会高校
⇒東海大学・体育学部・競技スポーツ学科
ポジション:アウトサイドヒッター(OH)
中学・高校は姉と同じ大阪にある金蘭会に入学しています。
全日本中学校選手権大会では、2連覇。
中学時代にU-18日本代表メンバーにも選ばれ、チームを優勝に導きました。
春高バレーにも1年生から出場し、高校でも2連覇。
高校を卒業後は、東海大学に進学しています。
姉と同じように、輝かしいバレーボールの実績を持ちながらも、
実業団には入らず、大学に進学したのですね。
身近に大学進学して、バレーボール以外の経験を深めている姉がいたからこその進路だったのでしょう。
仲良しで、美人姉妹なのでテレビ出演なども今後は増えるかもしれませんね。
宮部藍梨の生い立ちや小学時代
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宮部藍梨 選手の出身小学校は、地元の尼崎市にある金楽寺小学校です。
公立の小学校で、実家から通学していたそうです。
バレーボールを始めたきっかけを、尼崎市のフリーペーパーにて、インタビューで語っています。
『人数が足りない』という理由でかり出されたのがバレーボールとの出会いでした。
引用:SmileBox
小学生時代から身長が高かったので、声が掛かったのですね。
当時は、自分からバレーボールをやりたい!という想いはなく、テニスに挑戦していたそうです。
同学年に部員が2人だったので、辞めづらかったとも語っています。
低学年の頃は、遊び感覚でバレーボールを楽しんでいた宮部藍梨 選手の転機は、小学6年生で出場した県大会。
バレーボール強豪学校との対戦で、点数が獲れたことがとても嬉しかったそうです。
宮部藍梨は金蘭中学・高校での成績
宮部藍梨 選手が通っていたのは、大阪にある金蘭会中学、高校です。
強豪中学に入った理由
私立の金蘭会中学への進学には消極的で、
バレーができるところで、家から通える学校がいいな
と考えていたそうえす。
金蘭会中学は、バレーボール強豪学校のため、バレーボール部には、基本的に推薦でしか入部できません。
全国や西日本から抜擢された実力ある小学生らが集まったバレーボール部なので、恵まれた体格が決め手になったのでしょう。
中学時代の厳しい練習でメンタル強化
当時の監督も心配していたのがメンタル面。
バレーボールの練習が厳しく、部活に行けない日もあったそうです。
チームメイトのみんなが「大丈夫?」などと、いろんな声を掛けてくれたからです。
とても雰囲気の良いチームで仲も良かったのでしょう。
皆強くなりたいという想いが、仲間との絆を深めています。
2013年
全国都道府県対抗中学バレーボール大会で
JOC・JVAカップを受賞
厳しいながらも愛のある温かい環境の元、バレーボール技術も成長していきました。
高校時代は3冠達成
春の高校バレー2016 2回戦!
今日はシード校が続々登場★中でも注目は、金蘭会の宮部藍梨選手!
全日本にも選出されたスーパー高校生が、春高でどんな活躍をするのか!?フジテレビにて今夜24時45分より放送するよ~♪ pic.twitter.com/0ncep1BoRJ
— フジテレビ☆バレーボール (@fujitv_volley1) January 6, 2016
高校もそのまま金蘭会高校に進学した宮部藍梨 選手。
高校1年生から主力として活躍し、東京オリンピックに向けた強化選手メンバー「TeamCORE」(男子10人・女子8人)にも選出されました。
実際には東京オリンピックには出場しませんでしたが、
当時から日本代表で活躍する選手として育てられたのですね。
高校時代の脅威の成績は以下の通り。
2014年
・インターハイ優勝(決勝で古賀紗理奈と対戦)
・国体 優勝(決勝で黒部愛と対戦)
・アジアユースバレーボール選手権(U-17)優勝
・アジアユースバレーボール選手権(U-17)MVP
2015年
・春高バレー 優勝
・ワールドグランプリ(現ネーションズリーグ)に唯一高校生で選出
2016年
・インターハイ 準優勝
・国体 優勝
・春高バレー ベスト4
高校1年生から、すでに全国優勝を経験しており、注目され続けてきたことが分かります。
〜月バレ〜
”アジア女王の貫禄を示して
日本が5大会連続6回目の優勝”来年ペルーで開催される「世界ユース」の出場権を獲得‼︎
第10回 アジアユース女子選手権大会 U-17 pic.twitter.com/0Rliug8EXV— ☆バレー専用垢☆ (@volleyball_aka) November 27, 2014
▲アジアユース大会のときは、キュートな姿が愛らしいですね。
この頃から、日本代表の試合、遠征、高校の部活でとても忙しくなりました。
150711 FIVB ワールドグランプリ2015
古賀紗理那&宮部藍梨 pic.twitter.com/TnWjNeUKsf— ℛ (@DarkStar0601) July 12, 2015
▲ネーションズリーグでの古賀紗理那さんとのツーショット。
あどけなさが可愛い2人ですね。
代表選手に抜擢されたときは、皆年上の選手ばかりで自分の実力はまだまだだな、と感じたそうです。
高校生最後の大会では、国体で優勝はしたものの春高バレーやインターハイでは優勝できず、で3冠達成には届きませんでした。
全国で2位はすごくいい成績だと思うけど、1位にならないと全然喜べない。そこは苦しかった
引用:NumberWeb
バレーボールに楽しさを感じられなくなり、Vリーグへの道ではなく、別な進路を選びます。
すべての環境を変えたい、との思いも強かったそうです。
宮部藍梨の大学時代はアメリカへ
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宮部藍梨 選手は中学、高校と私立学校に進み、その後は3つの大学に進学しています。
留学することを前提に神戸親和女子大学へ入学。
アイダホ大学時代
9月になり、サウスアイダホ大学へ留学します。
大学進学した理由について、語っているインタビューは以下。
もともと勉強が嫌いじゃなかったというのもあります。それに、やっぱり体って消耗品だから。35歳ぐらいで現役をやられている方ってすごく少ないと思うし、会社員のように定年までできる仕事ではない。怪我をするかもしれないし、どんなに好きでもいつかは選手を辞めないといけない時がくる。そうなった時に、自分からバレーを取ったら何もない、という状態になるのは理想的じゃないなと思ったんです。
引用:NumberWeb
バレーボール生活だけでなく別な勉強も学びたかったそうで、競技後の人生を見つめ直し留学する道を選択しました。
留学したアイダホ大学でもバレーボールで優れた結果を残しています。
NJCAAディヴィジョンI全米選手権 優勝
女子年間優秀選手
当時は、特別に英語授業を受けつつ、通常の授業も受講し、バレーボールの練習もしている日々だったそうです。
それでも文武両道にこだわったのは、より高いレベルでバレーボールをするため。
次の大学や奨学金・推薦入学のために、勉強も頑張り、ミネソタ大学へ入学が決まりました。
ミネソタ大学時代
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宮部藍梨 選手はミネソタ大学に編入し、ヒュー・マッカーチョン監督の元でバレーボールを学びました。
ヒュー・マッカーチョン監督は男子バレーを金メダル、銀メダルに導いた名監督。
その名監督の指導で、パス(サーブレシーブ)、スパイク、サーブなど基礎から学び直すのは、並大抵のことではないと思います。
世界に通用するフォーム、日本でのプレーとの違いがさらに宮部藍梨 選手を成長させました。
また、大学院の卒業論文では、「オリンピックの経済効果」をテーマに研究しています。
しかし、ミネソタ大学では控え選手。
将来バレーボールをやる道は考えていませんでした。
一時は、就職活動、オンライン面接もこなし、将来はアメリカを拠点に仕事をする道を考えていたそうです。
当時たまたま、同大学でケガをした選手がいたため、主力選手として全米選手権に出場。
全米大学選手権 べスト8
出場した試合では、しっかり結果を出しバレーボールを続ける道を考えるようになりました。
その後、大学卒業と同時に日本代表へ復帰。
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ミドルブロッカーとして、チームの勝利に貢献しました。
ヴィクトリーナ姫路へ
プロとしての1年目は、自分の原点で
との理由から、ヴィクトリーナ姫路に入団。
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2023-24シーズンでのVリーグ優勝に貢献しました。
来シーズンも引き続き、ヴィクトリーナ姫路でのプレー姿に注目していきましょう!
まとめ:宮部藍梨 選手の両親や経歴について
宮部藍梨 選手の両親や妹、今までの経歴をまとめました。
✔ 父親はナイジェリア人、母親は日本人であることしかわかっていない
✔ 妹は、宮部あめぜ選手で現在は、JT マーヴェラス所属
✔ 金蘭会高校時代は、1年生で3冠達成、日本代表に選出
✔ アメリカでの大学時代は、名監督の元で基礎から学び直し、大学でも活躍
アメリカでの経験を経て、日本代表に7年ぶりに復帰した宮部藍梨 選手。
両親の仕事やお名前は2024年7月時点では明かされていませんでしたが、
宮部姉妹を支え、自立できる環境を整えてきたことはご両親の力があってこそですね。
インタビューでは英語でスラスラ応えたり、古賀紗理那選手の通訳をしている姿も印象的でした。
今後は、バレーボールだけでなく他キャリアでの活躍も期待されますね。
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました!
【8/1更新】パリ五輪 放送日程(バレーボール女子)
<バレーボール女子パリ五輪・放送日程>
予選ラウンド VSポーランド | 2024年7月28日(日)~ 午後7時50分~ テレビ東京 午後7時50分~ TVer |
予選ラウンド VSブラジル | 2024年8月1日(木)~ 午後7時50分~ NHK総合 午後8時55分~ Eテレ 午後10時00分~ BSP4K |
予選ラウンド VSケニア | 2024年8月3日(土)~ 午後7時52分~ フジテレビ |
準々決勝 | 2024年8月6日(火) 午後4時~/午後8時~ 2024年8月7日(水) 午前0時~/午前4時~ |
準決勝 | 2024年8月8日(木) 午後23時~ 2024年8月9日(金) 午前3時~ |
3位決定戦 | 2024年8月11日(日) 午前0時15分~ |
決勝戦 | 2024年8月11日(日) 午後20時~ |